
| 体験談・その1 : 立ち直った息子が、今では充実した大学生活をエンジョイ |
| 体験談・その2 : 大輪教室は、「子供が真剣勝負できる環境」を与えてくれる |
| 体験談・その3 : 大輪教室はハードだ。でも、それを乗り越えたから今の僕がある |
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事の起こりは、中3の7月のはじめ、朝食を終え、カバンを持って立ち上がった息子が、そのまま崩れるようにへたっと座り込みました。様子が尋常ではなく、学校に行けないのだとわかりました。思わず、「行かなくていい」「このまま家にいなさい」と言っていました。
息子はそのうち部屋から出なくなりました。「誰も悪くない。僕の問題だから、お父さんもお母さんも心配しないで」と言ったきりです。静かな引きこもりで、会話もなく、死を見ていることはわかりました。食事を運ぶ以外は、寝顔を見て、鼻と口元に手をかざして生きているのを確認する毎日でした。
学校では不登校・ニートの子どもたちはお荷物です。息子の進学相談も、担任は「私立は無理、公立はもっと無理」。そして「高校に行かなくてもいいじゃないですか」と言いました。いろいろな先生の講演会や親の集いに出かけたり、祈祷師に頼んだりまでしましたが、何も効果がなく、こちらも神経がおかしくなりました。
3ヶ月ほど経った10月、近くの友人から大輪先生のことを聞き、カウンセリングを申し込みました。具体的なノウハウがきちんとしていたのと、「大丈夫、よくなりますよ」の一言にすがったのです。
やがて本当の原因は家族のとくに私の過保護、甘やかし、先まわりにあることがわかりました。愛情のつもりで、実は自分の満足のために息子をいい状態におきたかっただけだったのです。
卒業間近のころ、息子は初めて大輪先生に会い、先生の指導で通信制の高校に行くことになり、同時に週3回大輪教室に通うようになりました。
教室に通い出してからは、心と体がみるみる元気になっていくのがわかりました。私たちも先に光が見えました。
そして高3の夏、息子は「大学に行きたい」と言い出しました。通信制の高校から大学になんて行けるはずがありません。でもはじめから1年浪人を決め、すべり止めの大学に受かりました。私はそれだけで有頂天で、勝手に入学金も授業料も払い込んでしまったほどです。
ところが息子は「大事な話がある」と正座して両手をついて、もう1年だけ浪人させてほしいと言います。お金をかけて親に申し訳ないというので、予備校にも塾にも行かず一人で黙々と勉強して、翌春、東洋大学と日本大学に合格しました。そして東洋大学に入学しました。
入学後は本当に生き生きして、いま2年生です。大学院に進みたいと言って、明け方まで勉強していたりします。その傍ら、やはり大輪先生の開いている塾で高校生の数学を見てやり、今春その子が大学に合格したというので喜んでいました。
私はいまだに子に甘く、何かと世話を焼きたがりますが、息子のほうでとりあわず、何でも自分でやります。父親を尊敬するようになり、私をいたわり、広い視点でものを考えるようになって、息子のほうが私を抜いて成長してしまったと思います。
うちと同様に、中学時代に不登校・ニートをしていたお子さんたちは、結局みなそのままです。ご両親が離婚されたり、専門学校に入ったものの、結局途中退学でそのまま半フリーターだったり、今もって東京にまでカウンセリングに通ったり、誰もよくなっていません。 それを歯がゆく見ている私に、息子は「お母さん、(大輪先生のことを)教えてあげるのはいいが、それ以上はお母さんのすることじゃない。みんな自分が決めることだから。」と言います。
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息子は小学校3年生から中学3年まで、ほとんど学校に行っていません。小学校2年生の終わりごろ、朝急に学校に行かないとしゃがみ込みました。
大輪先生にお会いしたのは3年生の夏です。
最初に「S君は甘えが足りないか、甘えさせすぎたか、どちらかでしょうね」と言われました。
すぐ下に妹ができ、夫の転勤で引越しの連続、海外駐在で幼稚園も海外と東京、小学校も1年の1学期で東京から転校、その間に弟もできるという具合で、本人もまったく違う環境に順応しようと一生懸命だったのでしょう。私も慣れさせようと友達と遊ばせることに一生懸命で、本人の負担にさらに輪をかけました。
大輪先生は不登校・ニートをよくわかっていると感じ、具体的な対処法に信頼ができました。まだ小さいのだからじっくり時間をかけて休ませ、これまで足りなかったものを埋めてやろうと決めました。S君も大輪教室に通いながら、元気に遊んでいました。
5年生で新たな変化が見えたころ、主人がまた転勤で、6年生の新学期からは鹿児島に移りました。息子は鹿児島でも、学校にはちょっと行っただけ。そのまま中学3年生になりました。大輪先生とは時々電話で連絡をする程度。このブランクが大きかったと思います。
高校進学の話が出たとき、息子は心の準備期間が欲しかったらしく、1年延ばして受けたいと言いましたが、大輪先生は先に延ばす必要はないと言いました。今までに十分休んでいるし、大学に入るときは浪人があり得るから、こんなところで足踏みする必要はない、通信制でも、とにかく高校のステップを踏んだほうがいいという意見です。そして「早くこっちに帰ってこい」と言われました。
精神的には高校生にまで達していないので、勉強は通信制の高校でゆっくりやり、その間、大輪教室で社会に出る準備を整えるという姿勢だったようです。私たちはそのへんの認識がなく、大輪先生は通信制を勧めていましたが、単位制による昼間定時制の県立高校に入りました。
高校には休まず通いました。親としては、「大輪教室は卒業か」と思いましたが、息子は先生とお話して大輪教室に通いました。
大学は美大を狙い、先生と相談して夫とは2年間は好きにさせることにして、息子は2浪して志望の美大に入りました。とにかく小3から中3まで何もしていないので、学科と実技の勉強で大変です。その厳しい受験期も大輪教室に通い続けていたので、親としては正直葛藤がありました。
ただ、この間の5年間の大輪教室があって、今の息子があるのは確かです。
真剣になることで、人間は限界が拡大していくようです。親は常に子供に“いい”環境、心地よい環境を与えようとしますが、大輪先生は、子供が真剣になる環境を与えて、可能性を大きくしていると思います。
息子は考え方がずいぶん変わりました。ファミリーレストランのバイトも、仲間が「厳しいからイヤ」というのを、「厳しいからやる」と言いました。
苦手と思われた接客も「苦手意識を変えるチャンス」と言います。車の免許を取る時、公認の自動車学校ではなかったので実地免除にならず、難しい試験場で受け、何回か失敗しました。その時「イヤなことは間をおかずにやる。何回やっても、どうしても上手くいかない時は間をあける」と言って、すぐに挑戦し、資格を手にしました。
今になって、大輪先生がよくおっしゃる「学校に行くことが目的ではない。成長した結果行くのでなければダメ」ということが、よくわかります。
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小学校の頃の記憶はあまりないが、3年生のとき、大輪先生が家に来てゲームをしたりボール遊びをしてもらったのはよく覚えている。 一度だけ算数を教えてもらった。小3なのにどんどん上の内容を教えてくれて、確か教科書を全部終わらせてしまった。
「学校なら何日もかけることがこんなにできちゃうんだ、小学校の勉強は難しくないんだ」と思った。
先生は僕にとっては常にある種のプレッシャーを感じさせる存在というか、常に何かを考えさせる存在だ。
先が見えている人、自分のずっと前を行っている人という感じがする。それまで大人からそういう感じを受けたことはあまりなかった。
父の転勤で鹿児島にいるとき、中学も結局行っていなかったから、高校進学が不安で、1年延期して受けたいと言った。だが大輪先生は延ばしてはいけないし、必要もないと言う。 ではとにかくできることからやろうと、夏には地元のフリースクールに通った。すると友達もでき、少し自信も出て、10月から勉強を始めた。この段階を経て大丈夫だなという感じが持てた。あのとき僕の希望通りに1年延ばしてもらっていたら、そのままズルズルと延びていただろうと思う。
ただ、大輪先生は通信制を勧めたが、両親も僕も当時はその理由が理解できず、単位制による昼間定時制の県立高校に入った。学校はもう休まず出席できた。昼間定時性では大輪教室に通うのは難しかったが、時間を捻出して通った。先生の勧めもあったが、自分でもまだここを出るのは早い、もっといろいろ勉強できるという感じがあった。
大学の受験期はさすがに厳しかった。美大を受けることに決め、浪人時代は美術系の予備校に通ったが、予備校も厳しいところでやめていく者が少なくない。
僕も受験に専念したかったが、大輪教室に9月までは週2回、その後12月までは週1回通って、何時間もぶっ続けにスポーツをしたりする。本当にハードだった。
ただ、高校3年間、大輪教室で自分の限界が思っているよりはるかに高いことに気づかされていて、それは自信になっていた。その経験がなかったら、たぶん予備校もついていけなくてやめていただろう。また厳しい予備校と大輪教室の両立があったから、いま仲間が厳しいと言う大学の授業も苦にならない。
大学の先生の出す課題に学生が「無意味だ」などと反発を募らせるときも、僕にはその課題を出す先生の意図が見える気がする。こんなときは仲間が幼く見える。
大輪教室では社会を多様な角度から教えてくれる。例えばサッカーは午前中は作戦会議で、試合は午後だ。その日の天候、土の状態、メンバーの能力と特性を考え、戦略を練り、戦術を立て、状況ごとの味方チームの心理、相手チームの心理を読む。上に立つ者は人の心理状態を掴まないといけないということも体験する。
去年大学で一つの課題が終わったとき、仲間にプロデューサー的な仕事をやってくれないかと言われた。プロデューサーは企画を立ち上げるところから、どんな人材を集めてどんなスケジュールを組むかなど、実際の製作に入るまでの段階をお膳立てする。この僕が人を動かしコミュニケーション能力を要することが得意と思われていることが意外だったが、こういうことが大輪教室で培われていたのだとも気付いた。
大輪教室を人に説明するのは難しい。
同じ体験であっても、一人ひとりの心の状態や成熟度で消化のされ方も違うからだ。僕の場合は、社会や人がこういう道理で動いていくのだということを教えてもらったという実感が強い。
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